
東日本大震災の発生直後から全町避難を余儀なくされ、東京電力や自衛隊の前線基地となった福島県双葉郡広野町。あれから9年――「復興五輪」をかかげる2020年東京オリンピックの聖火リレーは、この町からスタートする。
けれど、その「復興」って何だろう? 「絆」「再生」「共同体」といった言葉に、つい白々さを感じてしまう……そんなあなたにこそ、この映画を観てほしい。
『春を告げる町』が描くのは、華やかでシンボリックなセレモニーの後景で、こつこつと日々の暮らしを築いていく人びとの営み。この土地で新たに生まれ、すくすくと育っていく子どもたちの物語。被災体験をモチーフに演劇をつくりあげる高校生たちの青春。広野町を流れるいくつもの時間が交差し、重なりあい、やがて未来をかたちづくっていく。
監督は『ドコニモイケナイ』で2012年度日本映画監督協会新人賞を受賞した島田隆一。編集を手がけたのは『息の跡』『愛と法』などの秦岳志。果たして本当の復興とは何か? 言葉にできないその答えを、映画はそっと静かに映しだす。
コメント
順不同・敬称略
「面白い!」としか言いようがない。「面白い」の定義をするとしたら、僕にとっては今この映画のことだ。故郷に帰るおばちゃんたちや若い夫婦の一家や高校生らに感動したり爆笑したり(犬もアヒルも最高!)。
あえて例にあげるなら、同じく故郷の話である『わが谷は緑なりき』のあの母ちゃんが、暗い世相にありがちな感傷や決まりごとになんか絶対に流されない態度を貫くあの感じ、あのユーモラスさ。あれが、昔話の中でなく、自分と地続きの町にいま存在していること。それがなぜかたまらなく嬉しい。カメラの前では最初に消えて無くなってもおかしくないようなユーモラスな瞬間すらも丸ごと込みでナマを記録するという大仕事をやってのけた、この映画の作り手たちや出演に応じた方たちの間の信頼関係の構築を心から尊敬します。
「こんなに面白くていいのか?」なんて逡巡しかねない時に、そんな感傷なんか吹き飛ばして、「映画=人生だとしたら、面白くなくちゃ困る、面白くていいに決まっている」という感じだろうか。映画の面白さは人の尊厳に関わるということを当たり前のこととして引き受けて、本当に面白い映画になっていて、凄い。こんな面白いものに立ちあわせてくれて、感謝します。
三宅唱
映画監督
6年のあいだ、家主の帰りを待っていたストーブに火が点く。カメラがその瞬間に一緒にいて、この火にあたれることを羨ましく思った。じんわりとスクリーン越しにも熱が伝わってくる。
そんな風にこの映画には、広野のあちこちに手探りで再び火を灯していく人々と、それによって紡ぎ直されていくまちが記録されている。帰ることを選択した人たちが、やっとの思いで同じ場所に立ち「帰ってきたんだな」「また始まるんだな」と隣にいる人と分かち合う顔が、それまでの葛藤の時間を写している。その顔を忘れたくないと思う。本当の安心って何によって得られるのだろうと、この映画を観てから考え続けています。
小森はるか
映像作家
悲しむひと、これからやり直すんだと前を向くひと、過去にしがみつくひと、よそものの無理解に怒るひと、すべてを受容するひと。 美しいHIRONOで「復興」を思い思いに表現する人々を見ていると、絶望すらいとおしく感じる。 これは、2010年代、まだ人々が「復興」を信じられていたころの記録です。
岡映里
作家/「境界の町で」
火は浄化である。夜明けの田に放たれた火は、世界がもう一度立ち上がることを約束している。でも、どうやって? 少年少女たちは真剣に考える。口にされた言葉が次々と突き崩される。だが舞台は実現される。これは死と再生という、世界の大きな劇に立ち会おうとしている映画である。
四方田犬彦
映画誌・比較文学研究家
福島県浜通りに特有の、ずっこけるような、それでいて醒めた「笑い」のかたちがある。それがこんなにも親密に、間近から記録されたことがかつてあっただろうか。これが福島の魂だ!今後、広く長く見つづけられることを願う。
三浦哲哉
映画研究者
この映画はひとつの日本人論だ。分断することで浮かび上がる集団の形ではなく、目に見えないものをつないでいく営みを撮ることを選んだ勇気と知性にあっぱれ。
藤岡朝子
山形国際ドキュメンタリー映画祭理事
ゲームのように人生は、現実は、
リセットして、やり直すというわけにはいかない。
しかし、春は繰り返し巡ってくる。
そして、人生は続く。
この容易でなさを、どのように生きるか。
広野の暮らしと、私たちの生活は地続きである。
七里圭
映画監督
世の中が理解したいように被災地を理解し、“復興”の概念だけが独り歩きしていく中で、現地の人びとは誰よりもその意味を反芻し、立ち止まったり振り返ったり、ときに忘れたりしながらも自分自身の人生を生きている。そんな当たり前のようでいて見過ごされがちな大切なことを、島田監督は一つの自治体に生きる様々な立場の人の姿を通して立体的・多面的に見せてくれた。その意味では、本作はこの時期に作られた震災を扱った映画として、集大成的な厚みと説得力を持った作品なのではないか。
そして素晴らしかったのは高校生のあの演劇。人が一生かけても分からないかもしれない大事なことに、この子たちはもう触れてしまったのだなとただただ驚愕する。こうして生きている人たちがいるのに、私たちは他者を分かろうとする努力を止めて、考えることを止めて、どこに向かっていくのだろう。
我妻和樹
映画作家『願いと揺らぎ』